#35


 鏡見が千代森に手をかざす。千代森に背にはビル壁がある、あれを爆破されれば意識のない千代森は成す術もなく、木っ端微塵に吹き飛ばされてしまう。咄嗟にナツキは影を操って千代森を包んだ。爆破の衝撃と崩れ落ちてきた瓦礫を影が守って、影がしゅるりと元の形へ戻っていく。中から現れた千代森は意識こそ失っているものの、命に別状はないようだった。

 不意に路地から音もなく現れた男が、鏡見へ向かって叫んだ。

「四季、異専がこちらへ向かっている、撤退すべきだ」

 ビビットピンクの髪を揺らした、表情のない男。ナツキはその顔に見覚えがあった。かつて共に護衛の仕事を請け負ったことのある情報屋――上神マキ。

「はあ?これからだってとこでなに言ってんの、全員殺せば解決でしょ」
「そうはいかない、あの異専の異能は身体強化だ。鋼のような防御力も備えている、爆破が効かない」
「チッ…キミに指図されんのほんっとムカつく」

「やっと、捉えた」

 澄んだ幼い声が響く。
 弾丸のように飛び出してきた影が、鏡見の足元のコンクリートを深く抉る。対応できなかった鏡見は吹き飛ばされ、地に叩きつけられた。

「鏡見四季、あなたの暴挙、ここで終わらせる」

 ゆっくりと立ち上がった少女、神田いおりは、力強く鏡見を見据えた。

 ナツキは千代森のもとへ駆け寄り、その肩を抱えて揺する。大丈夫、とかけられた声に応えるように、ゆっくりと虚ろな目が開かれる。戦線から撤退させるべくナツキが肩を貸そうとするが、千代森はそれを制して、へいきだよ、と小さくもはっきりした口調で答えた。言葉通り、よろけながらもひとりで立ち上がる。

「でもダメージは大きいわ、離れて休まないと」
「…だめだよ」
「…千代森?」

 感情の薄かった千代森から、はっきりとした意志の通った声が響く。ナツキはそれを感じ、千代森の感情にどういう変化があったのか、慎重に汲み取ろうと耳を傾ける。千代森は痛みから途切れ途切れに、けれど意思のこもった強い声で、続けた。

「思い出したんだ、記憶を、…おれが自分の異能で、自分の居場所を焼き尽くしてしまったことを」
「それは……どうして」
「鏡見が俺の居場所を襲撃して、あの孤児院で異能を持っていたのはおれだけだったから、応戦しようとして、感情が高ぶりすぎて、…無差別放電になってしまった」
「……そう、だったのね」
「だからおれは、行かなきゃならない、…おれにできる償いはきっと、鏡見とあの時の決着をつけて…そのうえでみんなに、謝ることだと思う」

 千代森はやはり淡々と、けれど強い瞳で鏡見を見据えながらそう告げた。ナツキは自分に口を挟む権利はないと拳を握る。ここで彼を止めることは罪だ。一生彼を苦しめる結果にしかならない――たとえそれを実行させることで、彼の命が損なわれてしまっても。
 歯痒い、と、思った。いつでも誰かの力になれるよう、そのために強く生きてきたはずだったのに、いまに限って千代森に手を差し出せないことが。

「今日であなたのすべてを終わらせる!」

 神田がまた強く地を蹴り、鏡見を目掛け飛びかかる。先ほどのダメージが残っているのか、鏡見もすぐに反応できないようで、避け切れず右腕に神田の拳が直撃した。弾丸より早く鋼より硬い拳。もう鏡見の右腕は使い物にならないだろう。鏡見はなんとか立ち上がったが、間髪いれず神田の蹴りが繰り出される。すぐに彼女と自身の間に爆発を起こしたが、神田の脚はいとも容易く爆風を掻き分け、鏡見の腹部に勢いよく沈んだ。鏡見の体は簡単に吹き飛ばされビル壁へ向かう。それを駆け寄った上神が無理やり受け止め、細い体が壁に叩きつけられた。
 鏡見は上神に構うことなく立ち上がって、神田の足元で爆発を起こす。幼い少女の体は簡単に宙に舞ったが、既に身体強化は発動されているため、さほどダメージが入っていないようだった。空中で体を反転させると、ひとつビル壁を蹴って再び鏡見へ真っ直ぐに飛びかかる。
 この軌道では今度こそ直撃する、鏡見もふらついていて回避はできそうにない。そう判断した上神が、2人の間に割り込むように、音による衝撃波をぶち込んだ。神田は風に吹き飛ばされたが軽々着地する。舞い上がる瓦礫と埃で視界が悪くなった。

「四季、」

 その隙に逃げようと、上神の華奢な手が鏡見の左手を掴んだ。いつものように撤退するはず、だった。

「…うっさいな、いい加減邪魔なんだよ、オレの前から消えて」

 静かに落とされた声の直後に爆音が響く。それは決して大きい規模ではない。鏡見にしては小さなものだった。

「ッ、あああぁあ!」

 上神の劈くような悲鳴。視界がようやく晴れてきたときナツキたちの目に映りこんだのは、右足を爆破により吹き飛ばされ、断面からとめどなく溢れる血で血溜りをつくり、その場に蹲るマキの姿だった。

「用なしだよ、マキ、もういらない」

 上神は痛みに顔を歪めながら、うすく開かれた瞳で鏡見を見た。
 かれは、いま、

「っよく、そんなことが…!」

 千代森は激情する。自分を守ろうとした者への行いとして到底考えられないことで、人として許されることではない。上神は痛みから滲む汗を額に滑らせながら、鏡見に声をかけたくとも、痛みに食いしばった口は開くことができない。

 記憶が戻ったことで感覚も戻ってきているようで、的が捉えやすくなっているのが体で分かる。そして感情に任せて放電すれば周囲に迷惑をかけることも、知っている。ひたすらに集中して意識を研ぎ澄ませ、鏡見だけを見つめて薙ぎ払った手から放たれた電流は、神田の攻撃による痛みでろくに動けなかった鏡見に、歪むことなく直撃した。
 倒れこんだ鏡見を神田がすぐに確保して手錠をかけ、目隠しをする。ナツキから、彼の異能の発動には目線が関係しているという情報を、予め知らされていたのだ。

 鏡見はくちびるだけで薄く笑って、ただ、それだけだった。何も言うことも抵抗することもなく、神田に手を引かれるまま、署へ連行されていった。

#36


 晴天。

 鏡見四季は民衆のもと磔にされていた。人々は群がり、彼の確保に喜びで沸いていた。

 記憶を取り戻した千代森は、異専に入ることになった。過酷だ、休みなどあってないようなものだと神田は止めたが、千代森の意思は固かった。

「人を殺してしまったぶんを、おれが償うためには、それ以上に人を助けること以外には、ないと思うから」

 かつて"彼"が纏っていた、長くたなびく異専の青い制服。正義を背負う者の証。彼はそれを見て、すこし似合わないかな、と照れくさそうに呟いたけれど、そんなことはないとナツキは言った。決意のある者には、その制服は、誰にだって相応しいと思えた。
 それからもうひとつ変わったのは、マキの妹、ナギの面倒を、ナツキが見ることになったことだった。いずれは兄と同じ職業につきたいのだと、異能を持たない少女は笑顔を振りまいた。兄がもう、情報屋として働くことができないことを知っていながら、それでも彼女は笑った。それがマキを救うことを、きっと知っているのだろう。

「ナツキ、そうほいほい何でも請け負うものではない」
「心配してくれるのは有り難いけれど、知っているでしょう?」
「性分、というやつか?気にかけるこちらの身にもなれ」
「いやね、あなたの気を揉ませるほど弱くないと自負しているのだけれど」
「…そういうことじゃない、と言っても、お前には伝わらないのだろうな」

 ルイは呆れたような表情で笑い、砂糖をふたつ落としたコーヒーをレイに差し出した。彼は受け取ったそのカップを、ただじっと覗きこんでいる。
 あの男の、憎らしいほど安らかな死に顔を思い出していた。衰弱し始末もできなくなっていた人形の代わりに埋めてやった、腐れ縁のことを。



「マキ、水を持ってきたわ」

 ここは「外の事情を持ち込まない人間」であれば異能であっても診てくれる、治癒能力を操作する異能を持った闇医者、長塚の経営する診療所。ここの存在を知っていて利用したがるのは大抵異能なのだが、外での因縁を持ち込もうものなら彼に治療を放棄されるため、ここは少しばかり特殊な空間だった。ナツキはルイからここを紹介され、なんでも長塚は彼の雇い主の旧友であるという。
 あの日鏡見に右足を吹き飛ばされた上神を保護したのは、ナツキだった。神田が鏡見を連行するのをぼんやりと見届けたのち気を失った上神を抱え、すぐにこの診療所へ連れてきた。長塚の異能により傷口はすぐ塞がったものの、本当に急遽断面を塞いだだけで内部のダメージまでは回復できなかったため、しばらくはここに安静のため入院することになったのだった。長塚の異能は非情に便利ではあるけれど、本人の治癒力を「消費」して傷を癒す力であるため、過剰に使用するのは患者にとって逆に毒になる。そのため一気に完治させることはできないのだ。

「……死刑執行は、今日だったな」

 差し出されたコップに口をつけることなく、マキはそう呟いた。ぼんやりと外を眺めている。その視線の先には、民衆に晒され目隠しをされた、鏡見四季の姿があった。

「…ええ、そうよ」

 マキが惜しんでいることを、ナツキは感じていた。
 彼らがどういう関係性だったのか、未だ図りかねている。妹の命を握られ、情報屋としての知識を奪われ利用されていたのだと聞かされてはいて、それは確かに「事実」であるはずなのだが、それでもまだ何かを隠されていると、そう感じていた。
 彼は吹き飛ばされ失くされてしまった右足を、ひとつだけ撫でた。

 マキ。そう呼んでくれた声を、何度も頭で繰り返していた。刺々しい声色、けれど二人にしか分からない合図が、確かにそこにはあったのだ。

 わっと広場で歓声が上がる。見ていたマキは、ああ、もういよいよなのだと、涙を流すわけでもなく、理解した。

 晴天のもと、鏡見四季の首が飛ぶ。
 民衆は拍手喝采に沸いた。