すきだということ

(バンドマンパロ)

 

 

 やってしまった。

 なにをしているのかという後悔に苛まれる。こんなはずではなかったのに。

 

 全てはナツキに馬鹿げた相談を持ちかけてしまったことから始まった。

 なんとなく、そう、特段深い意味はない、と俺は思っているのだが、とにかくカオルに好きだと言いたくなった。なにがあったわけでもない、定期的にこういう時期が訪れるだけだ。とはいえ、彼が仕事を辞めてからはこれが初めてで、昔と違い関係が冷め切った今、当然真正面から言うのは躊躇われてしまう。遠まわしに伝えたくても、高校生のときから彼と付き合っている時点でまともな恋愛をした経験などあるわけもなく、ひとつも良い案が思い浮かばない。第一、もとから言葉より態度で示すほうが性にあってはいるが、ゆえにほとんど好意を言葉にしない反動で湧いている衝動なのだ。直球で顔面にブチ込まなければ気が済まない。それでもやっぱり、今の状態で彼に好きだと伝えるのは、どことなく嫌味めいていて気が引けた。返答を求めているわけではないのだ。こんなときカオルなら、俺なんかよりずっとうまくやるんだろう。

 そうして困った俺は、なぜだかナツキに相談してしまった。俺とカオルの関係を知っていて、かつ絶対に茶化さない人物、となると、もはや彼女ひとりしか候補に残らないのだ。まともな知り合いがいない。類は友をなんとやら。

 果たして彼女はこう言った。

 

「そんなの簡単よ、花を贈ってあげればいいの」

 

 ガラじゃないとすぐさま却下、したかった。結局できなかったから、こんなことになっているわけで。

 彼女にはどうしても強く出られないのだ。高校に入学してたまたま同じクラスになっただけの彼女は、それでも俺に当然のように構い続けた。誰にだって同じように平等に特別扱いをするナツキは、つまり誰ひとりも特別ではなく、それはまさしく博愛というやつで、彼女に愛されることになんの条件もないのだ。ひたすらにそういうひとでしかないからこそ、彼女のことを傷つけたくないと強く思うし、俺はそういう、いわゆる大切にするというようなことが苦手で、そうして言いよどむ隙にいつも言いくるめられてしまう。そういう強かな人間だということくらいは分かっていてもだ。

 それからナツキは様々な花言葉やらそれらの育て方やらを俺に教えたが、それは遠まわしと言えるのだろうかと、俺はそんなことを考えていた。含まれた言葉は遠まわしに伝えられるかもしれないが、花を贈るという行為そのものが、既にどことなく気障っぽく、自分には似合わない気がした。

 

 これから授業があると言ったナツキは大学へ、俺はバイト先へ向かい別れたのだが、帰りに俺は案の定花屋に寄ってしまい、意外にずかずかくる店員に押しきられ、右手には今、鉢に植えられた花と土の重みが圧し掛かっている。

 物を贈ったところで喜ぶわけもない、まして俺が言わなきゃベースの弦も換えないような彼が、花の世話なんかするはずがないのに。いらないと言うに決まっている、今のうちに言い訳を考えておかなければ。上手く言わなければ本当に気付かれてしまう、きっと彼は辟易する。

 それなのに頭は空回るばかりで、最善なんかちっとも見つからなかった。

 

 

 

 なにを考えているのだか、それはさっぱり分からないが、鳴海が花なんか買って帰ってきた。

 

「…なにこれ」

「花」

「見りゃ分かる」

「…通りがかった花屋で押し売りされた」

 

 そんなわけあるか家電量販店じゃあるまいに。けれど俺に口を挟ませまいとするように、そいつは勢い任せに捲したてる。

 

「俺が持ってたって意味ねェし世話なんかしたくねェし、お前のがまだ有用な使い道あるだろ、…女にでもやればいい」

 

 しかし同じだけの勢いで失速した。落ち込むくらいなら言わなきゃいいものを。相変わらず頭が悪い。

 後悔がありありと浮かぶ顔を俯いて隠した鳴海は、それでも「ん、」と俺にその袋を突きつけている。花なんて重いものを誰かに贈りたくはないし、かといって俺自身も世話はしたくない。どうすべきか悩んで、といってもほんの数秒だ。けれど沈黙に早々に根をあげた鳴海が、

 

「…悪い、やっぱいらねェよな」

 

 そう言って腕を下げた、心細げなそのさまが、なんだか昔によく似ていた。

 俺がそれを受け取ってしまった理由は、多分、それだけだ。

 

 そんなこんながあったのは、もう一昨日のことになる。

 先述の通り女に花など贈ったりしたらあとが面倒なため、結局ふたりの寝室の窓際に飾ることにした。鳴海は本当に世話をするつもりはないらしく、どころかなるべく視界にも入れないようにしているらようだ。水をやったかどうかさえ、俺に聞いてもこなかった。

 最近の鳴海の、俺になにも求めていないように見える振る舞いをしようとしているところが、ひどく嫌いだ。腫れ物に触るような恐る恐るといった言動も、顔色を伺ってくる目の揺れも。「どうせ何を言ったって、良くも悪くもお前には一切響かない」、と、昔のあいつは言っていたのに、今は俺に煙たがられることを恐れすぎている。もとから気を遣われるのが好きではないし、鳴海にそうされるのは、特別に居心地が悪かった。今日だって、昔のこいつなら「水やりくらいしろ」と説教を垂れてきただろうに、やっぱり俺になんにも言わないままでいる。

 気に食わないと思った。最初にその花に水をくれてやったのはそんな理由だ。

 

 花を飾って二日経ち、ようやく鉢にラベルが貼ってあったことに気がついた。この花の名前はリナリアというらしい。暇だったのでなんの気なしに調べてみたが、分かったのはあいつが思っていた以上の馬鹿だったということだけだ。

 本当に俺が気付いていないと思っている、なんて言うつもりなのか。勝手に気付かれてはいけないと思いこんでそう振る舞っているのはお前なのに。

 

 三日目になると、花がどことなく萎びていた。手入れの仕方なんて知るわけもないから、とりあえず水をやる。普段使っているコップの半分ほどを朝と夜の二回では足りないのだろうか。土は特に乾いた風ではないけれど。

 四日目、朝に帰ったので水をやろうと見てみれば、花のいくつかがすっかり俯いていた。寝ている鳴海を起こさないように水をかける、なんとなく世話をしているところは見られたくない。もう枯れてしまうのだろうか、花がどれほど持つのかもやっぱり知らないけれど、俺のせいで枯れていくようで腹が立つ。

 数時間後に起きた鳴海が、ベッドの上で雑誌をめくりながらちらりと花を盗み見て、水はやったのかと聞いてきた。責めないようにと気を遣った声にまた腹が立って、

 

「忘れてたわ」

 

 また意味のない嘘を吐いた。これでもう何度目か。この数年で格段に増えた。

 

 五日目にはもう花は枯れた。鳴海は机に伏して眠っている。

 もう駄目なのだろうとなんとなく分かってはいたが、やっぱりそれは俺のせいであるような、あいつの代わりに花が俺を責めているような気がして、憎らしく思いながらも水をやった。こんなものを睨んだところで、うんともすんとも言いやしない。

 

「お前さ」

 

 花を睨んでいたら不意に声がかかって、大袈裟に肩が跳ねた。振り返れば、

 

「水やりすぎなんだよ、一日か二日に一回で十分なのに」

 

 寝ているとばかり思っていたのに。困ったようにへなと眉を下げて、鳴海が笑って俺を見ていた。

 腹が立って眉間に皺が寄る。こいつとっくに気が付いていやがった、俺が水をやっていることに。

 

「…先に言えよ」

 

 俺はなぜだか正面からそのひとみを見ていられなくて、ついと目をそらす。その先で枯れた花が視界に入り込んで、結局睨むように鳴海へ視線を戻すはめになった。

 その表情を見たのは、本当に久しぶりだった。安心したように笑うさま。絶対に俺にしか見せない顔で、だから俺はそうされるとどうにも弱い。昔はこれを見ると本当に仕方のないやつだと思えて可愛がれていたのに、今はやっぱりすべて俺が悪かったのではないかなんて気分にさせられて、もっとその顔が見ていたいはずなのに、今更どうしたらこいつを大事にできるのかなんて、そんなことさえ分からずにいる。

 笑顔が減ったなんてのは、多分、お互い様だ。こいつが俺への接し方を忘れてしまったように、きっと俺も鳴海との過ごしかたを、忘れている。

 

「悪い、…嬉しかったから」

 

 鳴海は余計にへなりとして、俺はなんだか耐えられなかった。せめてこいつの体温と、傷んだ髪の色と、欲を言うならその笑い方くらいは、覚えていてやりたいのだ。カーペットに構わず押し倒しながら、俺のこういうところが駄目なんだろうと隅で少しだけ思ったことに、気付かなかったふりをする。

 そいつは驚いて数秒目を瞠っていたけれど、拗ねたような困ったような中途半端な顔つきで、ゆるゆると視線をそらした。

 

 

 

 セッションをしようと言われて、ふたりきりでは久しぶりの音を鳴らす。最近はひとりでばかり弾いていて、それ以外ではメンバーと集まった時にしか、ギターを触っていなかった。それは彼も同じだ、昔はずっとふたりだったのに。

 狭い部屋に少ない音、歌声がずっと近くで聴こえる。彼が世話をする買い直したリナリアが、窓際で黙って咲いている。